2009年07月01日

ボクは日食が見たい。

古くはまだ、淡路島航路が隆盛を極めていた25年前、当時小学生だったウチは自転車で西宮へ向かい、淡路島航路に乗り込んで星の観察を繰り返していました。特に秋頃になりますと、本当に澄み渡った深夜の瀬戸内の空には、6等星以下の星までが無数に見える日が度々ありまして、そんな日を狙って船乗り場まで自転車を漕いだのも懐かしい思い出です。

そんな天体観察の極めつけは高1の夏休み、バイトで稼いだ金を全部つっこんで7泊8日で与論島へ乗り込んだときでしょうか。最底辺の宿と飯で8日間を過ごし、日中は珊瑚の海へ、夜は宿の芝生に寝転がって、吸い込まれるような星空を眺める生活を繰り返していました。

なぜ長期に渡るかといえば、天体の観測は天気という「運」の要素が多分に絡んでくるためなのです。
いくら天気として晴れていたとしても、雲が出ていればイケナイ。雲ひとつない空でないと観測がデキナイ。本当に暇人でないと、なかなか天体観測はできんのかな…とそう思っています。

さて、そんな多感な年頃の時期に、海外での皆既日食についての紀行文を書かれていた作家さんの作品を読みました。


…皆既日食のときの暗さは満月の夜と同等。日中にもかかわらず光の量は百万分の一まで減少する。
たとえ99.99%まで太陽が欠けても、皆既日食のソレとは100倍の明るさである。

99.99%の日食から皆既日食になるまでの所要時間は、わずか0.5秒、その正に一瞬間が皆既日食の見所であり、月面の谷間から漏れる最期の閃光がダイヤモンドリングとなり、また太陽の突起物であるプロミネンスもその一瞬にしか見ることができない…どんなに欠け細っても部分日食は部分日食。皆既日食とはまったくの別物である。


と、天文については素人の作家と識者の会話の中で日食と皆既日食の対比を行い、実際の光景については…


(前略)

10時40分、50%まで欠けた。気温が下がったようで、涼しい風が吹いてきた…(中略)

フイルムをかざすと太陽は三日月形に細っている。月はまったく見えないので、太陽が勝手に欠けているかのようだ。もう暑さは感じない。あたりが「黄昏」になってきた。しかし、夕暮れとは違う、世の終わりのような不思議な雰囲気に包まれてきた。日食を予測できなかった古代人はどんな気持ちがしたことだろうか。(中略)

11時17分。90%まで欠けた。皆既まであと9分足らずになり、終末観のようなものが漂ってきたが、これでもまだ、皆既の10万倍の明るさである。
このあたりから太陽は、早く月の向こうに隠れたいかというように、ぐんぐん細り、活字のパーレンのようになった。そしてそのパーレンの両端が歩み寄ってきた。(中略)

皆既まであと1分。一人が秒読みを始めたが、それでもまだ眩しくて肉眼では見えない。

あと30秒。まだ眩しい。

20秒前。
10秒前。
5秒前。(中略)

突然、真っ黒な円盤が天空にかかった。たちまち冷たく白いコロナが背後に広がる。
コロナが写真で見るのよりずっと大きく、太陽の何倍もある。

中央の「黒い太陽」は、これほどの「黒さ」があるのかと思われるほど黒い。それが、1つ目玉の怪物のように見下ろしている。その睨み付ける視線が私ひとりに向けられているかのような恐ろしささえ感じる。

あたりを見回すと、地平の彼方のみわずかに明るく、椰子林もバナナの葉もシルエットになっている。

星が点々と光っている。真昼の夜であった。

(後略)




…この作家さんは紀行作家にもかかわらず、一切を写真に頼らず、すべて文章にて表現してしまう方で、多感な年頃だった時期に貪るように読んでいた作家の一人でした。
淡々とした文章の中で、まるで自分が現地にいるかのような迫力ある表現に魅せられたウチは、いつの日かこの光景を体感してみたい! そう、思いながら25年過ごしてきたのです。




さぁ、ついにその時がやってきました。


2009年7月22日、島へ。



http://www.nao.ac.jp/phenomena/20090722/index.html
posted by 佳由樹 at 17:38 | 日記