※今回は文章長い上に、バイク知らないとつまんないですね。すいません。
数日後にはネギま!で愉快?なレポートが上がりますのでしばらくお待ち下さい。
また、WHF神戸の写真館目当ての方は、7月20日の日記をご覧下さい。
リンク返しは、8耐レポートの時に一気にさせていただきます。
WHF神戸レポ紹介いただいた皆様、スイマセン…
…さて、本文。
「8耐」という名前はバイク好きの方でなくても、どこかで聞いたことがある人が多いのではないでしょうか?
「8耐」の正式名称はコカコーラ鈴鹿8時間耐久ロードレースといい、三重県・鈴鹿サーキットで第28回大会決勝レースが7月31日、つまり明日開催されます。
※一時期、スプライトやスプライトクールが冠の時代もありました…ションボリでした。
ちょうど私が中学生の頃ですから、およそ15年〜20年ほど前になると思いますが、バークブームと相乗して8耐は大変盛り上がっていました。
コース周辺の足の踏み場もないぐらいの雑踏。サーキット周辺に並ぶ他府県ナンバーのバイクの数々、さながらバイクのコミケといわんばかりのお祭りが毎年1回この時期に開催されていたのです。また、当時は2輪車メーカーの威信にかけたワークスも勢ぞろいで、様々なチームのスポンサーには今となっては想像もできないような大手企業ロゴが踊っていたのも懐かしい話です。
そんなとき、1つのプライベータが話題になっていました。チーム・シンスケです。
運に恵まれない熟年ライダー千石清一氏を走らせてあげたい一心で島田伸介氏が結成しチームです。
結成からレース活動開始までの紆余曲折はここで下手なテキストを並べるよりも以下の本が出版されていましたので、お読み頂ければ幸いです。
「風よ鈴鹿へ」(1988年小学館ISBN4-09-363291-X)
島田伸介氏がラジオ等のメディアを使って8耐のドラマを「絶対、泣ける」の一言で訴え、千石清一氏のドラマを訴え、バイク好き以外もレースに呼び込んで盛り上げに成功し、大いに賑わっていたのが当時の8耐でした。
チーム・シンスケは当時、NEOGEOで快進撃を続けていたSNKがスポンサーとなり、「チームシンスケSNK」として、なかなかに華のあるチームとして脚光を浴びていましたが、そして1991年、ライダー千石清一氏が引退を期にチーム自体も消滅してしましました。もともと千石氏を存分に8耐で走らせてあげたいだけのチームであったので、これはこれで仕方ないでしょう。最後の8耐参戦の時には「チームシンスケSNK・LASTRUN!」として多くのグッズが販売され、感動に引きづられていろいろ購入していましたが、今はステッカーしか新品で保存できていないことが悔やまれます。
…しかし、思えばちょうどこの頃が8耐の盛り上がりの頂点だったのかもしれません。
1990年代には高校生の憧れはバイクから自動車へと徐々に移り変わり、高校生の間だけミニバイクを足代わりに所有するだけで、卒業と同時に自動車取得といった流れとなってしまったように思えます。バイク自体がある意味好きな人しか乗らない乗り物になってしまったのでしょうか… バイク自体は最近(といっても結構前か…)でも某ドラマの影響で単発的にTWなどが流行ったりなどしましたが、残念ながら往年を取り戻すほどの勢いはなく、一過性のものだったと思います。
ブームの沈静化と同じくして、8耐の来場客数や客層にも大きな変化が見られるようになりました。
ともかく、最近は空いています。びっくりするぐらい。そして以前は若いライダーでいっぱいだったのが、近年は私も含めオヤジ世代が非常に多いように思えます。高校生がレーサーに憧れて鈴鹿という聖地に巡礼するというよりは、家族連れで車にて来場しまったりとレースを観戦しているのですね。
当然、主催者側も入場者数の減少を食い止めようといろいろな工夫をレース内外でするように努力しています。
たとえば1999年に開催された「スプライト・鈴鹿8時間耐久ロードレース選手権」は前夜祭にかなり気合を入れていました。
元米米クラブの石井竜也氏を総合プロデューサーとして、超ヒットソング「浪漫飛行」をはじめとして前夜祭にライブ的なノリを取り込むなどして、大いに盛り上がったものです。また、米米ステージのあとには、オヤジ専用として(w 天下の一発屋「アラジン」の高原兄&鈴鹿サーキットのマーシャルライダー千石清一氏のトークショウ等もあるオマケ付でした。
2000年は前夜祭にTRFだったかを呼んで、鈴鹿をダンス会場に!だったかの掛け声で盛り上げようとしましたが、自分的にあんまし興味なし。それよりも、高原兄がフライドオムライスなる奇メニューを開発し、わざわざ歌を作って披露していたのが強烈に印象に残ってます。
そういえば、2000年の表彰式では彼らが脱いでたなぁ(w
2001年、2002年もコミケに行くかのごとく巡礼していましたが、実は決勝レースよりも前日のSS(Special Stage)とか前夜祭が好きだったりします。高原兄&千石清一氏のトークショウ?と「風よ鈴鹿へ」という歌の合唱に涙するオヤジ層の中に揉まれたくて…(汗
♪ 心を込めて作り上げたモンスター ワゴンの中で静かに眠れ
お前の吐息が聞こえてくるようさ 鈴鹿までわずかあと15マイル
1度だけでいい8時間唸り続けてくれ!
ライダーが苦しそうな顔をしたらお前が慰めてくれ…
風よ鈴鹿へ 風よ鈴鹿へ
風よ優しく吹いてくれ 俺たちの夢を乗せて… ♪
さて、いよいよ?2003年… 仮面ライダー555(ファイズ)HONDAの参戦です。
チーム自体が参戦するのは、面白いなーと思って見てたのですが、応援団を結成するためにお父さんに子供を連れてこさせようと、場外のブースでキャラクターグッズを売ったり、アトラクションを行ったりなど、なかなかにヲタ心くすぐる年でした。
ライダーとの記念写真は良い想い出です(w
また、2003年はマーシャルライダー千石清一氏の引退の年でもありました。
レースを止められた後も、鈴鹿サーキットのマーシャルライダーとしてNRに跨り、レースの前後にコースを1周して場内を沸かせるほど愛されていた千石清一氏も本当のラスト・ラン。 ステージの前でマジ泣きしましたよ…
昨年の2004年は仮面ライダー剣(ブレイド)HONDAの参戦です。
また、前夜祭に仮面ライダーショウ登場。コースのグランドスタンド前を使った前夜祭の1イベントとして仮面ライダーショウが大掛かりに開催されました。
…子供向けのはずなのし、ネタが妙にオヤジ向けで面白かった(w
今年も期待。
また、レストランでは選手とのタイアップメニューも初登場するなど、周辺の小ネタには欠かない8耐でありました。
また、ヲタ・ライダーグループの我々は上記のようなネタが大好きなので…
当然、両ディナーとも食べて来ましたよ(w
今年は、あじさいで ネギま!丼セットらしいので、当然突撃してきますが…(汗
そして今年、2005年は波乱の年の予感…
仮面ライダー響鬼HONDAが参戦!
ネギま! が8耐参戦チームをサポート!!
…どっちもあんましレースに関係ないような(汗
響鬼はワルキューレに先日の放送で乗ってたけど、基本はバイクに乗らないんですよね…?
ネギま! はそもそもなんで8耐なんでしょうか(汗
当日は、こんな看板が掲げられているのでしょうか?
そんなこんなだけど
新時代に突入してしまったコカコーラ鈴鹿8時間耐久ロードレース選手権決勝が明日開催される。
決勝スタートまであと 1日9時間58分26秒…
2005年07月30日
コカコーラ鈴鹿8時間耐久ロードレース前日
posted by 佳由樹 at 00:00
| にっぽんヲタ街道